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関連キーワードから始まるストーリー
まだまだ英語ができない。
喋りたいこと、書きたいことをGoogleで「◯◯ 英語」と検索し、検索結果から適当な単語を探し続けている。
この間も「置き忘れた」という表現をなんと言えば良いのかわからず、「置き忘れる 英語」で検索したのだが、
その検索結果のページ下、関連キーワードの中に
1つだけ、どう考えても関連性の薄いワードがあった。
私はエミと付き合い始めて3週間がたった
なに?その物語。笑
関連キーワードは、通常検索者を助けるため、不足する検索ワードを補ってより正確な検索方法を提案してくれる機能のはずだ。
そして、実際この突飛すぎるエミちゃんの選択肢以外はしっかりと「置き忘れた」に関する英語表現を豊かにしてくれそうなものばかり。
例外にも程がある。
私はエミと付き合い始めて3週間がたった。
付き合ってる期間も絶妙だ。まだ1ヶ月も経っていない。不安定な時期だ。
******
私はエミと付き合い始めて3週間がたった。
実のところこの3週間、心の何処かに少しだけ不安な気持ちがあったが、一体なにが原因なのかわからなかった。
今日始めて彼女の家に行ってみて、その不安の原因は顕在化した。
傘の忘れ物だ。
男物の傘の忘れ物が、エミの家にはあったのだ。
不安といっても、別に直接的に男の影に気づいていた訳じゃない。
ただ、今までの彼女とはちょっと違うタイプの子だったから、どうやって距離感を詰めていいのかわからなかったんだ。
私が今まで付き合ってきた彼女は、とにかくなんでも質問してきた。今日何をする予定なのか?ご飯は何を食べたのか?仕事はどうだったのか?
女性の影が見えると分かりやすく怒ったし、束縛をして何かしらのルールを設定する彼女もいた。
今まで私にとって女性と付き合うということは、支配欲、独占欲を表現されることだったのだ。
ところがエミはそうではなかった。
だからこそ、こちらから浮気を疑ったりすることは出来なかった。
独占や支配は燃え上がるような恋をもたらすが、同時にそれを続けて行くと疲弊してしまう。だから、そういうことをしてこないエミに私は惹かれて行った所もある。
私も頭の中では、独占や支配はあまりやってはいけないことだと思っているんだ。
エミとは合コンで知り合った。
一次会の早い段階で意気投合して、そのあとメッセージのやり取りをするようになった。
どこで働いてるのかとか、料理が趣味だとか、旅行が好きだとかそんな話で盛り上がった。
でも、彼女にどれだけ男友達がいるとか、そういったことは聞かなかった。
たとえ何人だったとしてもいい気持ちはしないだろう、知らない方が幸せだ。
しかし、聞かないと決めても気になってしまうものは気になってしまう。
時折彼女が言う「友達」が男友達なのか、女友達なのか、推理をしながら話を聞いてしまう。
エミは友達と旅行した話をした。
私はその友達が男なのか、複数なのかデートなのか気になっていた。
旅行場所を聞くと、車でしかいけない所だ。
「ドライブ?いいね!でも長距離だから大変じゃない?」と返す。
彼女は、「私は運転してないけどね」と返した。
女子同士で運転しないことってあるか?
これはもう男とデートしたに違いない。
私の想像はどんどん闇へ進んで行く。
「運転しないって女子の特権だよね!」
私は返す。
リアクションを待つ。
話をそらされる。
エミは、手練れだ。
そして今日、どうみても男物の傘の忘れ物を彼女の家で見つけたんだ。
確信に近い感情が芽生える。
あぁ、やっぱり浮気されてたんだ。
先に彼女の家に入った男がいる。
弟とかいたか?いや、そんな話は聞いてない。
見つけてしまったからには聞きたい。
でも、聞けない。こんな時なんて聞いていいかわからない。どうすればいい?
この際、、
英語で聞いてみるか??
「置き忘れる 英語」 検索
っていう関連性があって予測変換に出てきたとしたらすげーいいよね。
何がいいのか。
妄想癖がひどい。
やめさせてもらうわ。
ピアノを思い出す作業について
幼少の頃から中学生の途中までずーっとピアノを習っていたが、一度として真面目に練習しなかった。
結果楽譜もろくに読めないし、人前で弾けるようなレベルでもない。
しかし、本当に好きな曲は練習して、弾けるようになるまで打ち込んだ。
ゲームミュージックに始まり、好きな洋楽やジャズピアノのフレーズなど、弾きたい!と思ったものに関してのみ熱中して弾いていた。
その熱が一番高かったのが高校3年から大学2年生までの間で、この期間中が一番レパートリーが多かった。
最近ピアノをこちらの電圧に合わせることに成功したので、嬉しくなって色々弾いてみたのだが、さすがに10年前のレパートリーなので途中で思い出せないパートが出てくる。非常にもどかしい。
なんとなく思い出せるパートと思い出せないパートに傾向性があり、自分なりに分析すると、音符とにらめっこしながら1つ1つの音を覚えたものや、何度も何度も反復して練習したものは今でも覚えているが、
指の形やつなぎの雰囲気で強引に持って行ってた箇所を忘れている傾向が強い。
10年前に弾いていたもののほとんどが、ゲームミュージックやマイナーなCMソングなので、楽譜も残っていなければ、そもそも耳コピで弾いていたものもある。
ヒントなしの状態でなんとか思い出せないか奮闘するのだが、面白いことに10回くらい繰り返して弾いていると、つまずいていた箇所をふと思い出したりする。
これは切れていたシナプスが再び復活するような爽快感があり、なんとも気持ちいい経験である。
しばらく音階の上を転がりながら、無くしていたものを見つけに行こうと思う。
(突然の詩的表現)
やめさせてもらうわ。
ゴリかわ
ジョンラ
日本人にとって、
時に英語の理解を助け、
時に英語の理解を阻害する存在。
英単語を知るより前にカタカナ語を知ってしまったが故に、カタカナ語が持つ意味や発音に縛られてしまうことは少なくない。
「ここが違う!英語とカタカナ語の発音」
的な話題は出し尽くされていると思うが、
日本で出国前の準備として英会話教室を受けていた時にまさしくそれだな、と思ったのが
「genre」だ。
日本語でジャンル。語源はフランス語。
英語の発音記号通りに読むと「ジャンラ」に近いし、その時の英会話教室の先生の発音は「ジョンラ」だった。
先生と映画の話をしていて「どんなジョンラが好きなの?」と英語で聞かれて、全く脳内変換できなかった。
近いようでとんでもない差だぞ。
30年弱の人生の中で、何度かカタカナ語がどのように制定されたのかについて想いを巡らせた。
当時の日本人がアルファベット通りに無理やり読んでしまったのだろうか?とか
当時の日本人の耳が、ネイティブの外国人の言う発音をそうやって聞き取ってしまったのだろうか?とか
いずれにせよ、後世まで響く重大な決断を、なかなかにローカライズして決めてしまったものだなぁと思う。
アルファベット「genre」を日本人読みしてもジャンルにはならないだろうから、きっと直接聞き取って一番近いカタカナを当てはめたんだろうなぁ。
ていうかジョンラって。
「ジョンラ」とカタカナで言う時の独特の脱力感というか、間抜けさはなかなかのものがある。
好きな音楽のジョンラはロックです。
好きな映画のジョンラはラブコメディです。
これから英語圏の人達と会話するにあたって、きっと僕は発音に気をつけながら「genre」を「ジョンラ」と読むんだろうけど
きっと読むたびにどこかでその語感の間抜けさを感じてしまうだろう。
やめさせてもらうわ。
キリキリ痛みますか?それともズーンとくる痛みですか?
新興国でありがちなお腹のトラブル。
腹痛、下痢、嘔吐の症状が出たため、私は病院に行った。
英語に自信のない私は、お医者さんの問診に日本語通訳を同伴した。
お医者さんは触診をしながら、痛いところがあれば言ってくれと
言っているらしい。
痛い箇所を申告すると、通訳さんが以下のように片言で通訳してくれた
「キリキリ イタミマスカ?ソレトモ ズーント イタイデスカ?」
これは万国共通の質問なのだな、と思った。
おかしいと思われるかもしれないが、
昔からこの質問がすげー苦手だ。自分の症状を何と表現していいかわからない。
むしろ、他の人たちがこの類の質問に対して回答を導き出していることに対してリスペクトが止まらない。
身体の内部の痛みについては、生まれてから死ぬまで人と共有することができないじゃないか。
そのため、学校の先生から「はーいみなさん、これがズーン系の痛みですよー」と教えてもらう機会もなければ、「あっこれキリキリ系だよね超わかる」と身内で確認することもできなければ、「お前、その痛みはズッシリ系だろ!」と他者からアドバイスを受けることもできない。
つまり、自分の回答の確からしさを確認し、自信を得ることができない。
ましてや、なぜ擬態語で表現しなければならないのか。
キリキリやズーンの言葉のニュアンスを、自分が正確に受け取っているかも微妙だ。
キリキリの言葉のイメージは、断続的に刺激的な痛みがくる感じだろうか。
ズーンの方は、鈍い痛みが途切れることなく続く感じだろうか?
キリキリズーンに対する自分の理解について、未だに全く自信がない。きちんと形容してくれないと困る。
かと言って、「針で刺されたような痛みですか?」と言われても難しい。
まず針で刺された経験が人生でそんなにない。
針で刺される痛み、と言われると、どこか一部分がピンポイントに痛むイメージではないかと推測されるが、身体内部の痛みで針のように超局所的な痛みを感じることがあるだろうか?お医者さんの言っている針のサイズはどれくらいのイメージなんだろうか。考えすぎて完全に迷宮入りだ。
同様に「どれくらい痛みますか?激しい痛みですか?」も難しい。
これもまた、人と分かち合ったことのない主観の問題だ。
死ぬほど痛い、という比喩表現も正確では無い。死んだことがないからだ。
鼻からスイカが出るくらい痛い、と言うのが出産の痛みの形容として有名だが、誰も鼻からスイカ出したことがないのになぜ一定の支持を得ているのかわからない。
痛みの強さ一覧表が世界保健機関から公開されているなら話は別だが、
個々人の忍耐力と経験によってこの回答は大きく異なるはずだ。
そして、このインタビューの結果が問診結果に影響するため、
非常に慎重に言葉を選ばなければならないのだ。
さて、これだけ言いたいだけ言ったものの、お医者さん側の気持ちもわかる。
前提は同じで、内側の痛みは他人と共有できないにも関わらず、
何らかの方法で痛みの状況を分析し、診断結果を出さなければならない立場だ。
痛がっている患者から正確に痛みの情報切り分けをし、特定していくのは至難の技だろう。
今のキリキリズーンが最良の方法では無いと思うものの、
僕自身代替案は思いつかない。
何か良い作戦がある人はぜひ教えてください。
やめさせてもらうわ。