10月15日
私はいつ、どこで感受性を落としてきたのか。
いま、桜木町にいる。
聞いた話だが、人は捜し物をするとき、だいたい桜木町にやってくる。
特に、「こんなとこにいるはずもないのに」とか言いながら見つからないものを探しにくるケースが多い。
僕も自分が落とした感受性を探しているうちに、あるはずもないことはわかっているのに気づけば桜木町にやってきたのだろう。
はじめて人に告白するが、私は物を落としやすい。
理由は整理ができていないからだ。
たくさんのものをとりあえず両手にできる限り持ったまま外に出かけて、掴んでいたもののうち1つをいつの間にか落としてしまうことがよくあった。
高校のとき、バンド活動をするために練習場所を探した。スタジオのチラシを持ち帰ろうと手に持って歩いていたが、スタジオから駅までの道中でふと気がついたらもうチラシを持っていなかった。
徒歩5分以内の間である。
振り返り道を戻ると、チラシは道に落ちていた。
僕は自分の手のひらの感覚がいかに信用ならないかについて大層驚き、嘆き、落胆した。
もちろん、落とされたチラシの身になって考えると、驚き、嘆き落胆したいのはチラシの方である。
突然手のひらから滑り落ち、駅の高架下で人に踏まれまくっていたチラシの痛みが聞こえてきそうなものだが、私にとってはそんなチラシの痛みより、これから一生付き合って行く自分の手の無力さの方が重大な問題だったのだ。
財布や鍵、航空券など、重要なものをよく失くした。すぐに見つかる場合もあれば、全く出てこないこともあった。
付き合っていた彼女から貰ったものを落とした時は最低である。それがお揃いのものだったり、相手の家の合鍵だったりとかするともう記憶から消したくなる。というか消した。詳しく覚えていない。
子供ならまだしも、30手前になってもまだ落し物をするのだから、これは明確な欠点なのだろう。
ただ、自分の欠点を治せないとしても、対処していかなければいけないのが大人なのだ。
たくさんのものをいっぺんに持たないようにする、1つ1つのものがなくなっていないか頻繁に確認する、場所を決めて整理する、などをし、僕はこの欠点と付き合っている。
さて、私は文書を書くのが好きで、幼い頃から書いたものを褒められることが多かった。年相応のレベルよりはうまく書くことが出来たのだ。中学生の頃は自意識を爆発させ、ろくにクラスの女の子と直接お話することが出来なかったが、ひとたびアドレスを交換すればメールが面白いと言われ、mixiが出来た頃には日記上で小説まがいのものを書き、友達に見せては、一部からmixiで何やってんの?と本気で引かれつつも一部から好評価をもらうことを楽しみとしていた。その後もいくつかブログを開設し、面白いことを書くことを目指した。
物を書くことが自分のアイデンティティの1つであることは間違いない。
ただ、突き詰めて小説を書いたり、物を書こうと思った時に、圧倒的に自分に不足しているものに嫌でも気づかされる。
感受性だ。
私は感受性をどこかに落とした。
きっとたくさんのものを持って生まれてきたはずなのに、
手のひらからこぼれ落ちたのだ。
それも、おそらくかなり早い段階で落としている。物心がついた時にはもう僕の手に感受性は無かった。これはもう警察にも届出不可能だ。
いつ頃落としたんですか?わかりません。
どの辺で落としたかわかりますか?わかりません。
こんな稚拙な問答が許されるのは迷子の子猫ちゃんである場合のみである。お巡りさんもイヌ限定だろう。
あるいは、私は知らぬ間に悪魔に感受性を売り渡したのだろうか?
かのロバートジョンソンは十字路で悪魔に魂を売り渡し、引き換えにギターの超絶スキルを身につけたらしい。
自分も悪魔に感受性を売ったのではないかと過去の記憶を遡り、頭を巡らせたが、そんなわけはないし、感受性と引き換えに何も貰った覚えはない。
高校2年生の時に、私は大きな衝撃を受けた。
同じクラスになった女の子のなかに、感受性のバケモノがいたのだ。
あれはもう歩く感受性、感受性モンスター、センシティブ爆弾、THEもののあはれ、色々並べてみたものの、その感受性の豊かさたるやどのように形容しても不足する、そんな女性だった。
文書を書かせたら、そのあまりにも瑞々しく活き活きした表現に、書かれた文字がそれぞれ意思を持って喜んでいるのではないかと感じるほど。
最初に彼女の文書を見たのは確かmixiだった。
夜の空を見て、風や月の様子から、季節が変わり目を感じたり、音楽を聴いて昔の記憶がよみがえったりする話を、表現豊かに描写していた。
戦慄が走ったのだ。
空を見上げて何かを感じたことがあっただろうか。
季節の変わり目に物思いにふけったことがあったか?
過去の記憶を大切にしているだろうか?
周りの社会や物事から、ここまで何かを受け取ることが出来たら、どんなに毎日が豊かになるだろうか。
その才能に嫉妬し、尊敬した。
この人のように人の心を動かす文書が書きたいと本気で思ったのだった。
私たちはその後高校を卒業して違う道を歩むが、こんなに素敵な友人を無くすわけにはいかないと、その後もときどき連絡をとり、食事に出かけたりして、幸運にも彼女の人生のさまざまな「転機」のタイミングで、話を聞けることが多かった。
記憶に残っているのは、決断についての考え方だ。彼女は何度か職場を変えており、自分の人生をかけてどんなことをしていくかについて真剣に悩んでいた。
もはやこの時点で、大した考えもなしに流されて生きている私からすると大尊敬なのだが、
最近決まった仕事が、かつてのバイトや仕事などを含めた彼女の過去のさまざまな経験から、少しずつエッセンスを抽出してまとめたような仕事で、
今後に繋がるかどうかなどわかりもせずに歩んできた暗く長い道の先に、確実に未来につながる光を見つけ、その縁に感謝していると言っていたのだ。
その人にしか話せない人生の話は、誰の話であっても価値があるが、彼女の視点から紡ぎ出されたその話はとてつもなく素敵な話だった。
そんな彼女がついに今日結婚をする。
感受性、結婚するってよ。
嬉しいことに二次会に呼ばれたので、弾丸で日本に帰っています。
じゃあの。