もって2週間でしょう

足の親指が腫れた。


理由は、サイズの小さい靴を履いて運動したからだ。


靴を脱いでからは痛みはなくなったし、

しばらくして腫れも引いた。


しかし、腫れが引いた結果、とんでもないことが起こった。


腫れていた指に合わせて爪が浮き上がり、パカパカ状態になってしまったのだ。


ツメがパカパカ状態というとものすごくいたそうなイメージだが、全くの無痛だから安心してほしい。僕とツメとの関係性は円満だ。


しかしいつまでもパカパカ状態では困る。


衛生的にも安心できない国に住んでいるため、そこから変にばい菌が入ってもやばい。


日本に帰国した僕は、その足で病院に向かった。


「先生、足の爪がパカパカなんですけど、これどうしたら、、」


「うーん、まぁ、しばらくしたら取れますね、これは」


「えっ!またくっついたりしないんですか?」


「いっかいはがれたらくっつきませんね。まぁ、もって2週間でしょう」


「もって2週間!余命宣告みたい!」


「自然に取れるのを待てば細胞も傷つかないので新しく生えてきます。とはいえ途上国で不安でしょうから、もし傷ついちゃった場合は軟膏を塗ってくださいね」


「ありがとうございます」



そして、それから約1ヶ月がたち、ついに僕はツメとお別れしました。


もって2週間って言われてた割には長いこと頑張ったなと思います。


なにこの報告。そしてなにこのコメント。


やめさせてもらうわ。






ノス

街を歩いていると、観光客だと思われるのかバイクタクシーに乗らないか?と話しかけられる。


だいたい無視するのだが、ときどきこちらの進行方向にしっかり入ってきて話しかけてくるやつがいるので、軽い会話をして断ったりもする。


そう、今日も口ひげをたくわえた男が、にこやかに話しかけてきたんだ。


「オイ!どこから来たんだ?」


「日本」


「ヨロシクオネガイシマス」


「日本語上手だね」


「君が行こうとしてるとこは4kmも離れてるじゃないか。俺はバイクタクシーをやってるから乗って行きなよ」


「はいはい、また勧誘ね。大丈夫大丈夫。歩いて行くから。」


「おい待てよ!明日の朝!!」


「明日の朝?何のことだ?じゃあな」


「明日の朝〜!!」


全く変なやつだった。なんだ、明日の朝って。

今日も乗らないし明日の朝も乗らないよ。バイクタクシーになんか。


歩みを進めて行くうちに、違和感がだんだん大きくなってくる。


待てよ


俺は自分の目的地を伝えていないのに...



なぜ、「4km」も離れているとあいつは言ったんだ...?



おかしいじゃないか。あまりにも具体的すぎないか?


まさか、、あいつは、、能力者なのか、、、?



人の心を読んだのか...もしくは未来が見えるのか?


預言者...!?



ノストラダムス...?!!


ノストラダムスの生まれ変わり...!!?


思えば、似てたかもしれない。ノストラダムスに。すげー似てた。俺の記憶の中のノストラダムスに。


待て待て、預言者ノストラダムスの生まれ変わりとすると、、



もっと気になることがある、、!!



「明日の朝」というフレーズだ!!


明日の朝?



明日の朝に何があるっていうんだ!!



明日の朝は普通に出勤だ。

しかし、出勤前に軽く運動をしてあの周辺をランニングしようかとも思っていたところだよな...


まさか...俺がランニングする未来を預言したのか...!!



恐ろしい!



恐ろしすぎるぞノストラダムスの生まれ変わり!!!










その地点から僕の目的地まで1.1kmでした。

前から思っていたんですが、

日本語の「夢」の意味と英語の"dream"の意味がほとんど同じってすごくないですか?

睡眠時間に見る夢と、思い描く理想の夢って全然ニュアンスが異なるものじゃないですか?

その2つが、違う文化圏で同じ単語で表現されるに至ったなんて奇跡的。

経緯に連関性があるのでしょうか?

他の国がどうなってるのかも気になる。

今日はそれだけ。


おかえりなさい

夏休みで日本に帰ってきた。


成田空港に到着すると、

「おかえりなさい welcome to Japan」

と書いてあった。


シンプルかつ些細なことだが、


welcome to Japanの直訳はおかえりなさいではない。そこを機械的に翻訳するのではなく、

海外から戻ってきた日本人と、海外からの渡航者に向けてメッセージを分けているのだなぁと思った。


同時に、これはドメスティックに使われている言語だからできることで、2カ国以上で使われている言語では使えない場合わけだな、とも思った。


いや、それだけですけど。


やめさせてもらうわ。

募金にご協力を。

小さい頃からひねくれていた僕は、募金活動をする児童たちを見て、

「利用されてんな」と思っていた。

彼らは募金活動の趣旨目的なんて完全に理解できているはずもないのに、見世物のように表に立たされていると。

大人がやるより若い子たちが大きな声で呼びかけた方が、「あら、あの子たち若いのに偉いわね」「頑張ってるあの子たちのために、募金するか」となることをわかっている大人たちに利用されていると。

大学では国際経済を学び、経済を回すことで貧困を解消することに興味を持った代わりに、募金という活動に対する疑問は大きくなった。

単純な募金は一回で終わってしまうため根本的な貧困解消にはならない。
それよりも、商売に繋がる元手を投資した方が持続可能な成長へと繋がり、貧困解消に役立つ、というような趣旨の勉強をしていたためだ。

もちろん上記の考え方に対しても反論はあるし、こうしたら貧困が無くなるなんて絶対的な解決法はない。ただ、募金が貧困解消の解にはなり得ない、というのが僕がいままで勉強してきた中での揺るがない持論であった。

そんな僕は今、皮肉にも募金大国にいる。

多くの富を持つことが悪とされ、
所得のうちのかなりの割合を募金に費やす。
募金=良い行いをすることで功徳を積み、たくさん良い行いをすれば天国に行けるとされている。

持論は揺るがないが、この考え方は美しい。
人々は優しい心を持ち、お互いを思いやる。良い行いを互いにしていこうと考える助け合いの社会が広がっている。

さて、この国では子供が労働しているところを見かけることが少なくない。
5-6歳じゃないかと思われる児童が路上で花を売っていたりする。
車道に出て、可愛い顔で車の窓にへばりつき、「買って、買って」とこっちを見てくるんだ。

これも子供のか弱さを利用したビジネスだろう。募金の心が根付くこの国の人たちは、可哀想だからといってその子たちから花を買う。

目の前のその子供のその日1日を暮らすお金を助けることにはなる。そのため、花を買う人たちを否定はできないが、これもまた根本的な解決ではない。

しばらく道を進むと、今度は学生と思しき若い男女が花を売っている。
現地の人に話を聞くと、彼らは子供たちが花を売るので忙しく学校に行かない現状を憂い、子供たちから花を買って代わりに自分たちが売っているのだという。

なるほど、学生が現状に問題意識を持ち、なおかつ行動に移しているなんて素晴らしいじゃないか。子供たちは学校に行く時間が出来、将来はもっと質の高い労働ができるようになり貧困から脱出できるかもしれない。

と、初めは思ったが、時が経つにつれ頭の中でいくつかの疑問が湧き上がってきた。

まず、学生の彼らから花を買うときの消費者の購買意識を考えてみるとあまりにも複雑で面白い。

「子供たちがその健気さを武器に労働することで学習の時間がなくなっていくことを危惧し、学生でありながら問題提起をして立ち上がってるなんて若いのに偉いじゃないか!この学生たちが頑張ってるからお金を払ってあげよう!」である。
学生である彼らが売りにするのも児童とおなじで「若さと懸命さ」であるというのも興味深いし、そこに「正しい行いを応援したい気持ち」が加わって非常に複雑な構造となっている。
だが、これは募金と非常によく似ている。

次に、販売している彼らもまた学生であり、学業の時間を割いて活動しているというところも興味深い。

児童期の基礎的な学習を受けないと、その後の将来に大きく関わるため、児童期の学習を優先した方が良いという考え方には賛同できるが、児童を児童労働から解放し、学習の時間を与えるために代わりに学生が学習時間を削って労働しているというのはなんだかパラドックスのようだ。

そして最後に、児童から花を買うまでは良いが、その後自分たちが児童と同じように花を売るという行動に出ていることについても賛否ありそうだ。

児童には花を売るしか出来ないかもしれないが、そこそこに成長している彼らであれば、もっと生産性のある仕事ができる。
だが彼らは児童から買った花を、そのまま同じように売り始めた。これは何だか最適化されていない気がしてならない。

色々屁理屈をこねたが、ただブログを書いている僕よりも実際に行動に出ている彼らの方が何倍も社会に貢献していることは確かで、
非難するつもりは全くないことを補足しておきたい。
ただ、もっと良い方法がありそうな気がしてならない。そのモヤモヤを書き記しておきます。

やめさせてもらうわ。

関連キーワードから始まるストーリー

まだまだ英語ができない。


喋りたいこと、書きたいことをGoogleで「◯◯  英語」と検索し、検索結果から適当な単語を探し続けている。


この間も「置き忘れた」という表現をなんと言えば良いのかわからず、「置き忘れる 英語」で検索したのだが、


その検索結果のページ下、関連キーワードの中に

1つだけ、どう考えても関連性の薄いワードがあった。


f:id:groliosa:20170722140119p:plain


私はエミと付き合い始めて3週間がたった


なに?その物語。笑


関連キーワードは、通常検索者を助けるため、不足する検索ワードを補ってより正確な検索方法を提案してくれる機能のはずだ。


そして、実際この突飛すぎるエミちゃんの選択肢以外はしっかりと「置き忘れた」に関する英語表現を豊かにしてくれそうなものばかり。


例外にも程がある。


私はエミと付き合い始めて3週間がたった。


付き合ってる期間も絶妙だ。まだ1ヶ月も経っていない。不安定な時期だ。


僕は、元々の目的を忘れ妄想に耽った。





私はエミと付き合い始めて3週間がたった。


実のところこの3週間、心の何処かに少しだけ不安な気持ちがあったが、一体なにが原因なのかわからなかった。


今日始めて彼女の家に行ってみて、その不安の原因は顕在化した。


傘の忘れ物だ。

男物の傘の忘れ物が、エミの家にはあったのだ。


不安といっても、別に直接的に男の影に気づいていた訳じゃない。

ただ、今までの彼女とはちょっと違うタイプの子だったから、どうやって距離感を詰めていいのかわからなかったんだ。


私が今まで付き合ってきた彼女は、とにかくなんでも質問してきた。今日何をする予定なのか?ご飯は何を食べたのか?仕事はどうだったのか?


女性の影が見えると分かりやすく怒ったし、束縛をして何かしらのルールを設定する彼女もいた。


今まで私にとって女性と付き合うということは、支配欲、独占欲を表現されることだったのだ。


ところがエミはそうではなかった。

だからこそ、こちらから浮気を疑ったりすることは出来なかった。


独占や支配は燃え上がるような恋をもたらすが、同時にそれを続けて行くと疲弊してしまう。だから、そういうことをしてこないエミに私は惹かれて行った所もある。

私も頭の中では、独占や支配はあまりやってはいけないことだと思っているんだ。


エミとは合コンで知り合った。

一次会の早い段階で意気投合して、そのあとメッセージのやり取りをするようになった。

どこで働いてるのかとか、料理が趣味だとか、旅行が好きだとかそんな話で盛り上がった。


でも、彼女にどれだけ男友達がいるとか、そういったことは聞かなかった。

たとえ何人だったとしてもいい気持ちはしないだろう、知らない方が幸せだ。

しかし、聞かないと決めても気になってしまうものは気になってしまう。


時折彼女が言う「友達」が男友達なのか、女友達なのか、推理をしながら話を聞いてしまう。


エミは友達と旅行した話をした。

私はその友達が男なのか、複数なのかデートなのか気になっていた。

旅行場所を聞くと、車でしかいけない所だ。

「ドライブ?いいね!でも長距離だから大変じゃない?」と返す。

彼女は、「私は運転してないけどね」と返した。

女子同士で運転しないことってあるか?

これはもう男とデートしたに違いない。

私の想像はどんどん闇へ進んで行く。


「運転しないって女子の特権だよね!」

私は返す。

リアクションを待つ。

話をそらされる。

エミは、手練れだ。


そして今日、どうみても男物の傘の忘れ物を彼女の家で見つけたんだ。


確信に近い感情が芽生える。

あぁ、やっぱり浮気されてたんだ。

先に彼女の家に入った男がいる。

弟とかいたか?いや、そんな話は聞いてない。

見つけてしまったからには聞きたい。

でも、聞けない。こんな時なんて聞いていいかわからない。どうすればいい?

この際、、

英語で聞いてみるか??




「置き忘れる  英語」  検索




っていう関連性だったらすげーいいよね。


飛躍しすぎか。


やめさせてもらうわ。




近所のステーキ屋の話

家の近くにアメリカンなステーキ屋がある。


そこの従業員の中に1人だけ圧倒的に接客スキルの高い女性がいる。


他のスタッフとは明らかに接客水準がかけ離れてるので、店舗のマニュアルが良いとかそう言う類ではなく、彼女自身のスキルと感性に拠るものだろう。


この国で接客スキルの高さを感じることはまずない。むしろ、ぞんざいな扱いをされる方が普通だが、その接客水準が彼らにとっての普通で、日本の方が特殊なんだろう。


だからこそ、その女性の接客は印象深く、そのお店の料理は特別自分好みの味でないにも関わらず、その格別なスキルによって何度か赴いてしまった。


まず基本的なことだが、お客様を迎え入れる姿勢が素晴らしい。

明るく大きな声と笑顔で店内に迎え入れてくれる。


英語もはっきりしていて聞き取りやすい。この国では英語がきちんと喋れる方が比較的珍しいが、欧米人が多く住んでいる地域なので地道に覚えていったのだろう。


そして特筆すべきは、オーダーを取るとき、こちらが伝えたオーダーに対し、「いいチョイスですね」と肯定してくれる。


個人的に、飲食店において、オーダーの肯定はかなり高度な接客ではないかと思う。日本でもスキルの高いスタバの店員ぐらいしかやってくれない。


自分の店のメニューを愛し、自分がその範囲においてプロであると誇りに思っていない限りなかなか出てこない表現じゃないだろうか。


こちらはメニューを頼んでいるだけなのに、良いチョイスをしたと肯定されるとなんだか嬉しくなる。お店の人のオススメメニューを選んだという安心感もある。


さらに、料理が到着したあと必ず後追いで料理を楽しんでいるかどうか聞いてくる。このコミュニケーションも日本の普通レベルを超えている。ちょっとお高めのレストランに行かないとないんじゃなかろうか。


ここまで書いていて思ったが、これらはどちらかというと欧米で好まれそうな接客スタイルである。アメリカンなステーキ屋で、お客さんも欧米人が多いのでまさしくフィットしているが、次に気になるのはどうやってその接客スキルをマスターしていったか、その過程である。


おそらく僕はそれを確かめるために、またあのお店に赴いてしまうのだろう。


てなわけで今日はこの辺で。