交通系ICカードを飼育しているとしたら

こんなにも、文字通り金を食うペットはいないだろう。


ICカードへのチャージという手続きを

考えてみてほしい。


物理的なお金が

電子マネーに変換されるまでの時間は、


我々の他の消費行動と比較しても

あまりにも短くないだろうか。


そして対価として手に入れる、

主に交通費として活用される電子マネーは、


効用、達成感、消費の喜びが

あまりにも小さくないだろうか。


ああっ!

今まで財布にあったはずのお金が!

あっという間に!


みたいな。


私が交通系ICカードを飼育していて、

チャージが餌をやる行為だと

考えてしまうのは、それが理由だ。


何か楽しい行為に変換しないと

目の前の現金がなくなっていく状況に

正直整理をつけることができないのだ。


しかしながら、

餌付け行為だと考えたとしても

それでも整理できないことは多い。


なぜなら交通系ICカードは、

飼育者に対し、決して媚びないからだ。


交通系ICカードは券売機の中で

同郷である同じ財布の中に入っていた

1,000円札が入ってくるのを心待ちにし、

狭い投入口から入ってくるのを発見するや否や

1秒と経たぬうちにたいらげてしまう。


さぞかしお腹が空いていたんだろう。

久しぶりのご飯に胸が高鳴ったはずだ。


しかし券売機から出てきた

交通系ICカードは

餌をもらって嬉しそうな表情でもなければ、

満腹になるような素振りもない。


残高0円でも残高10,000円でも

外見は全く変わることがない

とてもふてぶてしいやつなのだ。


学生の私は交通系ICカードに「ふてちゃん」という名前をつけた。


しばらくして私は社会人となり、地方転勤となった。


完全なる車社会で電車もないその地方で、私は日常生活でふてちゃんを使う機会がほとんどなくなってしまった。


しかし、3ヶ月に1度ほどのペースで関東に帰った際、ふてちゃんは今まで我慢していたご飯を一気に食べるかのごとく、暴飲暴食をはじめた。


「通学/通勤定期」というリミッターのなくなったふてちゃんは、ショートステイの帰省中に私が色々なところに連れまわせば連れまわすほど、チャージ額というご飯を食べ散らかした。


これは「実家で飼っているペットが久しぶりのご主人登場にはしゃぎ喜ぶさま」に似ている。


さらにペットっぽさが増しているではないか。



さて、ところで私はいま海外にいる。


もちろんふてちゃんをつかう機会は皆無だ。


遠距離の度合いが増し、帰省の回数は減った。

これはもはや、「兵役から帰ってきたご主人を見つけた犬が失禁するレベルではしゃぎ狂う」くらいのレベルで私の財布の中身を食い荒らすに違いない。


フフ、待ってろよふてちゃん。

フフフ。


(よいこのみんな:危ない人を見つけたらついていかずにおとなのひとを呼んでね!)