ピアノを思い出す作業について

幼少の頃から中学生の途中までずーっとピアノを習っていたが、一度として真面目に練習しなかった。


結果楽譜もろくに読めないし、人前で弾けるようなレベルでもない。


しかし、本当に好きな曲は練習して、弾けるようになるまで打ち込んだ。


ゲームミュージックに始まり、好きな洋楽やジャズピアノのフレーズなど、弾きたい!と思ったものに関してのみ熱中して弾いていた。


その熱が一番高かったのが高校3年から大学2年生までの間で、この期間中が一番レパートリーが多かった。


最近ピアノをこちらの電圧に合わせることに成功したので、嬉しくなって色々弾いてみたのだが、さすがに10年前のレパートリーなので途中で思い出せないパートが出てくる。非常にもどかしい。


なんとなく思い出せるパートと思い出せないパートに傾向性があり、自分なりに分析すると、音符とにらめっこしながら1つ1つの音を覚えたものや、何度も何度も反復して練習したものは今でも覚えているが、


指の形やつなぎの雰囲気で強引に持って行ってた箇所を忘れている傾向が強い。


10年前に弾いていたもののほとんどが、ゲームミュージックやマイナーなCMソングなので、楽譜も残っていなければ、そもそも耳コピで弾いていたものもある。


ヒントなしの状態でなんとか思い出せないか奮闘するのだが、面白いことに10回くらい繰り返して弾いていると、つまずいていた箇所をふと思い出したりする。


これは切れていたシナプスが再び復活するような爽快感があり、なんとも気持ちいい経験である。


しばらく音階の上を転がりながら、無くしていたものを見つけに行こうと思う。


(突然の詩的表現)


やめさせてもらうわ。

ゴリかわ

休みの日。
同僚の女の子に、
いま何してるのか聞いたら、
犬と遊んでると答えた。

「写真見せてよ!きっと可愛いんだろうなぁ」
というと、3枚の写真が送られてきた。

「可愛いでしょ?」というメッセージ付きだったが、
実際の写真は首回りの太いゴリゴリな犬だった。
確かに目とかうるうるしてたけど身体つきはゴリゴリだった。
犬の名前はcaesarだった。カエサル?英語読みでシーザー?どちらかわからないけどゴリゴリな名前だ。
ウィキペディアで調べたけどローマ最大の野心家の名前だ。ゴリゴリだ。
はっきり言ってゴリゴリだと思ったけど、さすがにゴリゴリだね!といったら失礼だし、「マジ可愛いね!」と返しておいた。ていうか英語でゴリゴリをなんて伝えていいかわからない。「OH it's GORI-GORI」なんだか伝わりそうな気もするけど

この国では、まだまだ小型犬が流行るには時間がかかるのかもしれない。野犬が多いが、強そうなゴリゴリなやつしか見たことがない。
推測でしかないが、チワワみたいなか弱いやつが生活できるようになるには、か弱いやつに目線を合わせてもやっていけるような水準まで達さなければいけないのではないかと思った。衛生水準にしても、飼育者のレベルにしても。

だから、今のこの国の感覚としては、「か弱い=かわいい」ではないんだろうなぁ、と。

日本のかわいいのニュアンスには、自律できない状態を含んでいるように感じる。

かわいいから面倒を見る、面倒を見ないと成り立たないからかわいい。どちらが先かわからないが、もはや同義に近いのではないか。

しかし、そんな自律できないものが生活していけない環境下では、人の物の見方も変わる。自律できそうなゴリゴリなやつも「可愛い」になれる。

ゴリゴリも可愛いになれる国

なかなかメッセージ性が強い言葉が生まれた瞬間である。

なにが言いたかったかわからん。
もうええわ。
どうもありがとうございました。

ジョンラ

カタカナ語


日本人にとって、

時に英語の理解を助け、

時に英語の理解を阻害する存在。


英単語を知るより前にカタカナ語を知ってしまったが故に、カタカナ語が持つ意味や発音に縛られてしまうことは少なくない。


「ここが違う!英語とカタカナ語の発音」

的な話題は出し尽くされていると思うが、


日本で出国前の準備として英会話教室を受けていた時にまさしくそれだな、と思ったのが


「genre」だ。


日本語でジャンル。語源はフランス語。


英語の発音記号通りに読むと「ジャンラ」に近いし、その時の英会話教室の先生の発音は「ジョンラ」だった。


先生と映画の話をしていて「どんなジョンラが好きなの?」と英語で聞かれて、全く脳内変換できなかった。


近いようでとんでもない差だぞ。


30年弱の人生の中で、何度かカタカナ語がどのように制定されたのかについて想いを巡らせた。


当時の日本人がアルファベット通りに無理やり読んでしまったのだろうか?とか

当時の日本人の耳が、ネイティブの外国人の言う発音をそうやって聞き取ってしまったのだろうか?とか

いずれにせよ、後世まで響く重大な決断を、なかなかにローカライズして決めてしまったものだなぁと思う。


アルファベット「genre」を日本人読みしてもジャンルにはならないだろうから、きっと直接聞き取って一番近いカタカナを当てはめたんだろうなぁ。


ていうかジョンラって。


「ジョンラ」とカタカナで言う時の独特の脱力感というか、間抜けさはなかなかのものがある。


好きな音楽のジョンラはロックです。


好きな映画のジョンラはラブコメディです。


これから英語圏の人達と会話するにあたって、きっと僕は発音に気をつけながら「genre」を「ジョンラ」と読むんだろうけど


きっと読むたびにどこかでその語感の間抜けさを感じてしまうだろう。


やめさせてもらうわ。


キリキリ痛みますか?それともズーンとくる痛みですか?

新興国でありがちなお腹のトラブル。

腹痛、下痢、嘔吐の症状が出たため、私は病院に行った。

英語に自信のない私は、お医者さんの問診に日本語通訳を同伴した。

 

お医者さんは触診をしながら、痛いところがあれば言ってくれと

言っているらしい。

 

痛い箇所を申告すると、通訳さんが以下のように片言で通訳してくれた

「キリキリ イタミマスカ?ソレトモ ズーント イタイデスカ?」

 

これは万国共通の質問なのだな、と思った。

 

おかしいと思われるかもしれないが、

昔からこの質問がすげー苦手だ。自分の症状を何と表現していいかわからない。

むしろ、他の人たちがこの類の質問に対して回答を導き出していることに対してリスペクトが止まらない。

 

身体の内部の痛みについては、生まれてから死ぬまで人と共有することができないじゃないか。

そのため、学校の先生から「はーいみなさん、これがズーン系の痛みですよー」と教えてもらう機会もなければ、「あっこれキリキリ系だよね超わかる」と身内で確認することもできなければ、「お前、その痛みはズッシリ系だろ!」と他者からアドバイスを受けることもできない。

つまり、自分の回答の確からしさを確認し、自信を得ることができない。

 

ましてや、なぜ擬態語で表現しなければならないのか。

キリキリやズーンの言葉のニュアンスを、自分が正確に受け取っているかも微妙だ。

キリキリの言葉のイメージは、断続的に刺激的な痛みがくる感じだろうか。

ズーンの方は、鈍い痛みが途切れることなく続く感じだろうか?

キリキリズーンに対する自分の理解について、未だに全く自信がない。きちんと形容してくれないと困る。

 

かと言って、「針で刺されたような痛みですか?」と言われても難しい。

まず針で刺された経験が人生でそんなにない。

針で刺される痛み、と言われると、どこか一部分がピンポイントに痛むイメージではないかと推測されるが、身体内部の痛みで針のように超局所的な痛みを感じることがあるだろうか?お医者さんの言っている針のサイズはどれくらいのイメージなんだろうか。考えすぎて完全に迷宮入りだ。

 

同様に「どれくらい痛みますか?激しい痛みですか?」も難しい。

これもまた、人と分かち合ったことのない主観の問題だ。

死ぬほど痛い、という比喩表現も正確では無い。死んだことがないからだ。

鼻からスイカが出るくらい痛い、と言うのが出産の痛みの形容として有名だが、誰も鼻からスイカ出したことがないのになぜ一定の支持を得ているのかわからない。

痛みの強さ一覧表世界保健機関から公開されているなら話は別だが、

個々人の忍耐力と経験によってこの回答は大きく異なるはずだ。

 

そして、このインタビューの結果が問診結果に影響するため、

非常に慎重に言葉を選ばなければならないのだ。

 

さて、これだけ言いたいだけ言ったものの、お医者さん側の気持ちもわかる。

前提は同じで、内側の痛みは他人と共有できないにも関わらず、

何らかの方法で痛みの状況を分析し、診断結果を出さなければならない立場だ。

痛がっている患者から正確に痛みの情報切り分けをし、特定していくのは至難の技だろう。

 

今のキリキリズーンが最良の方法では無いと思うものの、

僕自身代替案は思いつかない。

 

何か良い作戦がある人はぜひ教えてください。

やめさせてもらうわ。

交通系ICカードを飼育しているとしたら

こんなにも、文字通り金を食うペットはいないだろう。


ICカードへのチャージという手続きを

考えてみてほしい。


物理的なお金が

電子マネーに変換されるまでの時間は、


我々の他の消費行動と比較しても

あまりにも短くないだろうか。


そして対価として手に入れる、

主に交通費として活用される電子マネーは、


効用、達成感、消費の喜びが

あまりにも小さくないだろうか。


ああっ!

今まで財布にあったはずのお金が!

あっという間に!


みたいな。


私が交通系ICカードを飼育していて、

チャージが餌をやる行為だと

考えてしまうのは、それが理由だ。


何か楽しい行為に変換しないと

目の前の現金がなくなっていく状況に

正直整理をつけることができないのだ。


しかしながら、

餌付け行為だと考えたとしても

それでも整理できないことは多い。


なぜなら交通系ICカードは、

飼育者に対し、決して媚びないからだ。


交通系ICカードは券売機の中で

同郷である同じ財布の中に入っていた

1,000円札が入ってくるのを心待ちにし、

狭い投入口から入ってくるのを発見するや否や

1秒と経たぬうちにたいらげてしまう。


さぞかしお腹が空いていたんだろう。

久しぶりのご飯に胸が高鳴ったはずだ。


しかし券売機から出てきた

交通系ICカードは

餌をもらって嬉しそうな表情でもなければ、

満腹になるような素振りもない。


残高0円でも残高10,000円でも

外見は全く変わることがない

とてもふてぶてしいやつなのだ。


学生の私は交通系ICカードに「ふてちゃん」という名前をつけた。


しばらくして私は社会人となり、地方転勤となった。


完全なる車社会で電車もないその地方で、私は日常生活でふてちゃんを使う機会がほとんどなくなってしまった。


しかし、3ヶ月に1度ほどのペースで関東に帰った際、ふてちゃんは今まで我慢していたご飯を一気に食べるかのごとく、暴飲暴食をはじめた。


「通学/通勤定期」というリミッターのなくなったふてちゃんは、ショートステイの帰省中に私が色々なところに連れまわせば連れまわすほど、チャージ額というご飯を食べ散らかした。


これは「実家で飼っているペットが久しぶりのご主人登場にはしゃぎ喜ぶさま」に似ている。


さらにペットっぽさが増しているではないか。



さて、ところで私はいま海外にいる。


もちろんふてちゃんをつかう機会は皆無だ。


遠距離の度合いが増し、帰省の回数は減った。

これはもはや、「兵役から帰ってきたご主人を見つけた犬が失禁するレベルではしゃぎ狂う」くらいのレベルで私の財布の中身を食い荒らすに違いない。


フフ、待ってろよふてちゃん。

フフフ。


(よいこのみんな:危ない人を見つけたらついていかずにおとなのひとを呼んでね!)



クイズミリオネアはミリオネアじゃない件について

日本の数字の数え方では、カンマの位置と数字の繰り上がる単位が対応していないので不便だ。


10,000,000くらいまではさっと数えられるが、もう少し桁数が増えるとむしろカンマを邪魔に感じる。100,000,000,000とかになるともうゼロを地道に数えるしかない。(数学が得意な人は効率の良い数え方を知っているのかもしれないが)


その点、英語圏は当然のようにカンマと対応しているので数え方が楽だ。


こちらでは、英語訳する必要のない日本人同士での会話でも、5,000,0000,000のことを「ごびりおん」と発音してたりする。それくらい、カンマを基準にして数えやすい。


ただ、私が働いているところはちょっと特殊で、インド式の数え方も流通しているのが若干厄介だ。


1lakh=100,000なのである。

インド式にカンマを置くと1,00,000

慣れるまではなかなか変換が難しい。


さて、ミリオンという単位を使えるようになって、むかーし流行ったクイズミリオネアという番組を思い出した。


イギリスでやってたクイズ番組を日本に輸入して、みのもんたさんが司会をして当時なかなか流行った番組である。


さて、ミリオネアというと、1,000,000つまり

百万長者ということになるので、

この桁数を重視するのであれば

日本でも1,000,000円が最高賞金であるべきだ。

ただし、元番組であるイギリスの1,000,000ポンドは、日本円に換算すると現在の為替で1億を超える。

そのため、元番組と同じインパクトにするのであれば、最高賞金額は1億円でもいいかもしれない。


だが、実際の日本のクイズミリオネアの賞金総額は10,000,000円だ。

表記上ぴったりミリオンではなく、かといって元番組と比較するとしょぼく感じてしまうという、なんとも中途半端な値付けじゃないだろうか。


あとクイズ番組でいうと、伊東四朗さんが一瞬だけやってた「ウィーケストリンク」が好きでした。蛇足も蛇足ですね。


現場からは以上です。

円卓に座る8人のインド人

TOEICのリスニングって、

アメリカ英語やイギリス英語だけじゃなくて、

確かカナダとかオーストラリアとかニュージーランドの英語も使われてるんですよね。


試験を受けていてなんとなく聞き取りやすい英語と聞き取りにくい英語があると感じているとしたらおそらくそのせい。


アジアで働きはじめて思うのが、ただでさえ英語喋れないのに第二言語同士で喋ってるからめちゃくちゃな英語になる。


特に特徴的なのはインド人の英語だ。すげー癖があってなかなか聞き取れない。rの発音とか癖がすごいんじゃ。


でもなんか好き。インド人英語。


今日は同僚のインド人8人に取り囲まれ飲み会でした。


2時間近く一緒に酒を酌み交わした結果、


TOEICにインド英語を加えてもらったら、相対的に高得点が取れる自信が出て来ました。


団体の方、是非ご検討ください。


それではシュブラトリ〜。(ヒンディー語でgood night)